愛とはフィクションであり、つまり人類が目指す理想だにゃん
人間の感情には名前が必要である。どんな感情であれ名前というものがついて初めてそれが感情になる。
今までずっと心の中にあったものを「愛」と自分の中で名づければ、自分は今まで愛していたということになる。
逆に「実は同情でした」と自分の中で思い「同情」と名づければ、それは今まで同情していたということになる。
詰まる所、愛と同情というものは過去にあった物事にどう名づけたか、という結果なのである。
しかし、その結果は常に変化する。
例えば僕の気が狂い「僕はあずにゃんを愛している」などとほざいたとする。しかしある日、あずにゃんのために尽くしている事が苦痛になって来る。
それでも愛しい人のために懸命に身を削るが、僕は自分の事を考え、あずにゃんを捨てる。
愛が同情に変化した瞬間である。
本当の「愛」や「同情」なんてものは無く、すべてはそれを行った人間がその行為に対して「愛」と名づけるのか「同情」と名づけるのか「失敗」と名づけるのかだけである
「愛」も「同情」も「青春」もみんなただの名前である。たいした違いはない。
逆を言えば、「失敗」というのはその後の自分の感情次第で発生する事柄になる。
取り合えず、バットは振っとくものだ。